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2007.07/16 [Mon]
死刑判決って・・・。 光市母子殺害事件
死刑判決って、いけない事なのかな?
殺された人がいる限り、
犯人にどんな事情や動機があろうと、計画的であろうと、突発的であろうと、
罪の重さは変わらないと思うのは、わたしの心が狭いのだろうか?
光市母子殺害事件
1999年
自分の大切な妻が、排水検査を装った男に、
犯されそうになって、抵抗した為殺害され、その後、強姦された。
隣で、泣き喚いた生後10ヶ月の娘は、
床に叩きつける等された上、首にひもを巻きつけられ、窒息死。
そして犯人は、
女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、
居間にあった財布を盗んで逃走した。
犯人。当時、18歳と30日。
2000年
山口家庭裁判所 死刑の求刑に対し、無期懲役の判決。
2002年
広島高等裁判所 検察の控訴を棄却。
2006年
最高裁判所は、検察の上告に対し、広島高裁の判決を破棄し審理差し戻し。
弁護人の主張
「反省の態度も見られるし、一生かけて償う道を歩むチャンスを 与えられるべきである」
・・・そうなのかな???
この様に、人を殺し、辱めた犯人が、当時、少年だったからと言って、
社会は、彼の更正、社会復帰を願わなければ、いけないものなのだろうか?
過ちはあるよ。若気の至りもある。
でもね、それでも、許される事と許されない事があるんじゃないの?
わたしが、被害者側の立場からしか、物事を考えられない、偏った人間なのだろうか?
親族に、犯罪を犯した者がいないから、そう思うのだろうか?
この様な罪を犯した人だからと言って、
死刑になればいいのに!と望む、わたしの心は、情が薄いのだろうか?
わたしが被害者女性だったなら、家族には、絶対に許さないで!と、願うだろう。
そして、こんな人を世に出して欲しくない!と思うわたしは、
自分自身の身を守りたいばかりの、視野の狭い人間なのだろうか?
ねぇ、わたしがおかしいの?
その後。
反省の意思なんて全く見られないふざけた内容の、
犯人が知人に送った手紙が公表される。
一審の山口地裁で裁判を担当した判事の渡辺了造は、法廷に被害者の遺影を持ち込もうとした被害者の夫、本村洋に対して、「判決を言い渡す前に、被害者の顔が見えると被告人の人権を侵害するからと」いう理由で写真に布を被せるよう命令。
一審で福田孝行の弁護人を務めた弁護士の中光弘治。
無期懲役が出たとき、被害者遺族が傍聴席にいる前でガッツポーズ。
差戻し審で、弁護士欠席。
遺族の本村洋さんは、弁護士の出廷拒否で弁論が先送りになった後、
東京・霞が関の司法記者クラブで会見。
「遺族として、これほどの屈辱を受け、傷つけられたのは初めて。」
犯罪者の方には、死刑反対論者で有名な安田21人もの弁護団が付き、
今になって、殺意を否認。
控訴審において21名の弁護団の主張
ドアを開けて招き入れてくれた被害者を被告人の無くなった母と捉え、被害者に抱かれた被害児を被告人の二歳年下の弟と捉え、更に死亡させた被害者の遺体を、自殺して横たえられている母親の遺体と捉えた、母子一体ないし母体回帰の事件である。
「被害者の女性を殺害後に強姦したのは『死者を復活させる儀式』」
「赤ちゃんを床に叩きつけたのは『ままごと遊び』」
「強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた」
「(夕夏ちゃんを殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ」
・・・・・。
こんな事を、まともに裁判で、主張する弁護士達って。
長い期間、戦い続ける、遺族の本村 洋さんの思いを考えると、
↓の公判詳報を見ているだけでも、怒りと悲しみで、吐き気がしてくる。
http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070626/jkn070626016.htm
裁判が続く限り、遺族は、前に進む事も出来ないだろう。
殺意があったかどうかなんて、問題なの?
精神鑑定だって、意味があるの?
精神に異常があったら、許されるの?
精神が安定してたら、どんな事情があっても、
人を、殺したり、レイプしたり、しないんじゃないの?
安定している人でも、殺す時は、異常になるんじゃないの?
実際に、2人、殺されているのだ。
実際に、大切な家族を、奪われた人がいるのだ。
やたら、被告の人権を守ろうという動きが多いけれど、そんな必要あるのだろうか?
※被告の人権
http://www.google.com.ar/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=RNWE,RNWE:2005-27,RNWE:ja&q=%e8%a2%ab%e5%91%8a%e3%81%ae%e4%ba%ba%e6%a8%a9
犯罪者の人権は、被害者や、被害者遺族の人権よりも、重いの?
誰も、人の命を奪う権利なんてないはず。
未成年であろうと、精神が病んでいようと・・・。
もしくは、相手に、どのような恨みがあろうと・・・・。
人の命の重さは、同じ。罪の重さも同じ。
そして、橋本弁護士が、
「この21人の弁護団についておかしいと思う人は、懲戒請求を出したらいい。誰でも出せますから・・・。」と、テレビで言ったところ、実際に、懲戒請求が数百件きたのだとか。
わたし自身、この事件に憤りを覚えながらも、何もしなかった。
結局、見て見ぬ振りな傍観者の一人だったので、実際に行動した人達は、偉いと思った。
ですが・・・、
あまりにも多い懲戒請求に、弁護士508人が賛同して、「いたずらに懲戒請求を行い、これを煽る行為は違法であり、直ちに中止することを求める。」という、アピール文を発表。
そんな面倒な事を、多くの人達が、いたずらでするかしら?
それくらい、国民の多くが、この事件と弁護団に疑問を感じているという事を、全く、認識していないんだな~と、思った。
いつだって、政治家、弁護士、医者、大学教授・・・。
「先生」と呼ばれる者と、そうでない者の間には、壁があるよね。
(もちろん、例外もいらっしゃいます。)
確かに、被告を守るのが弁護士の仕事かもしれない。
死刑回避が、仕事上、成功なのかもしれない。
死刑廃止という考え方も、あるのかもしれない。
それでも、弁護士として以前に、
人として、やっていい事と悪い事の、常識のラインがあるんじゃないかな?
どんな手をつかってでも・・・とうのは、どうかと思う。
人を殺めたり、レイプしたら、どんな理由があろうと死刑。
そうすれば、犯罪も減るんじゃないの?
冤罪があるから難しいのかもしれないけれど、
案外、裁判の論点もまともになって、冤罪も減るかも?
人を殺して、無期懲役になっても、情状酌量で実際には、早く出られる・・・。
そうした甘えがあって、犯罪を犯す人も少なくは無いでしょ。
人の命を奪った人に、酌量なんて、無くていい。
自分の税金の一部で、こうゆう人の生活が、賄われるのも嫌。
わたし、心が狭いのかな?
殺された人がいる限り、
犯人にどんな事情や動機があろうと、計画的であろうと、突発的であろうと、
罪の重さは変わらないと思うのは、わたしの心が狭いのだろうか?
光市母子殺害事件
1999年
自分の大切な妻が、排水検査を装った男に、
犯されそうになって、抵抗した為殺害され、その後、強姦された。
隣で、泣き喚いた生後10ヶ月の娘は、
床に叩きつける等された上、首にひもを巻きつけられ、窒息死。
そして犯人は、
女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、
居間にあった財布を盗んで逃走した。
犯人。当時、18歳と30日。
2000年
山口家庭裁判所 死刑の求刑に対し、無期懲役の判決。
2002年
広島高等裁判所 検察の控訴を棄却。
2006年
最高裁判所は、検察の上告に対し、広島高裁の判決を破棄し審理差し戻し。
弁護人の主張
「反省の態度も見られるし、一生かけて償う道を歩むチャンスを 与えられるべきである」
・・・そうなのかな???
この様に、人を殺し、辱めた犯人が、当時、少年だったからと言って、
社会は、彼の更正、社会復帰を願わなければ、いけないものなのだろうか?
過ちはあるよ。若気の至りもある。
でもね、それでも、許される事と許されない事があるんじゃないの?
わたしが、被害者側の立場からしか、物事を考えられない、偏った人間なのだろうか?
親族に、犯罪を犯した者がいないから、そう思うのだろうか?
この様な罪を犯した人だからと言って、
死刑になればいいのに!と望む、わたしの心は、情が薄いのだろうか?
わたしが被害者女性だったなら、家族には、絶対に許さないで!と、願うだろう。
そして、こんな人を世に出して欲しくない!と思うわたしは、
自分自身の身を守りたいばかりの、視野の狭い人間なのだろうか?
ねぇ、わたしがおかしいの?
その後。
反省の意思なんて全く見られないふざけた内容の、
犯人が知人に送った手紙が公表される。
一審の山口地裁で裁判を担当した判事の渡辺了造は、法廷に被害者の遺影を持ち込もうとした被害者の夫、本村洋に対して、「判決を言い渡す前に、被害者の顔が見えると被告人の人権を侵害するからと」いう理由で写真に布を被せるよう命令。
一審で福田孝行の弁護人を務めた弁護士の中光弘治。
無期懲役が出たとき、被害者遺族が傍聴席にいる前でガッツポーズ。
差戻し審で、弁護士欠席。
遺族の本村洋さんは、弁護士の出廷拒否で弁論が先送りになった後、
東京・霞が関の司法記者クラブで会見。
「遺族として、これほどの屈辱を受け、傷つけられたのは初めて。」
犯罪者の方には、死刑反対論者で有名な安田21人もの弁護団が付き、
今になって、殺意を否認。
控訴審において21名の弁護団の主張
ドアを開けて招き入れてくれた被害者を被告人の無くなった母と捉え、被害者に抱かれた被害児を被告人の二歳年下の弟と捉え、更に死亡させた被害者の遺体を、自殺して横たえられている母親の遺体と捉えた、母子一体ないし母体回帰の事件である。
「被害者の女性を殺害後に強姦したのは『死者を復活させる儀式』」
「赤ちゃんを床に叩きつけたのは『ままごと遊び』」
「強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた」
「(夕夏ちゃんを殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ」
・・・・・。
こんな事を、まともに裁判で、主張する弁護士達って。
長い期間、戦い続ける、遺族の本村 洋さんの思いを考えると、
↓の公判詳報を見ているだけでも、怒りと悲しみで、吐き気がしてくる。
http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070626/jkn070626016.htm
裁判が続く限り、遺族は、前に進む事も出来ないだろう。
殺意があったかどうかなんて、問題なの?
精神鑑定だって、意味があるの?
精神に異常があったら、許されるの?
精神が安定してたら、どんな事情があっても、
人を、殺したり、レイプしたり、しないんじゃないの?
安定している人でも、殺す時は、異常になるんじゃないの?
実際に、2人、殺されているのだ。
実際に、大切な家族を、奪われた人がいるのだ。
やたら、被告の人権を守ろうという動きが多いけれど、そんな必要あるのだろうか?
※被告の人権
http://www.google.com.ar/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=RNWE,RNWE:2005-27,RNWE:ja&q=%e8%a2%ab%e5%91%8a%e3%81%ae%e4%ba%ba%e6%a8%a9
犯罪者の人権は、被害者や、被害者遺族の人権よりも、重いの?
誰も、人の命を奪う権利なんてないはず。
未成年であろうと、精神が病んでいようと・・・。
もしくは、相手に、どのような恨みがあろうと・・・・。
人の命の重さは、同じ。罪の重さも同じ。
そして、橋本弁護士が、
「この21人の弁護団についておかしいと思う人は、懲戒請求を出したらいい。誰でも出せますから・・・。」と、テレビで言ったところ、実際に、懲戒請求が数百件きたのだとか。
わたし自身、この事件に憤りを覚えながらも、何もしなかった。
結局、見て見ぬ振りな傍観者の一人だったので、実際に行動した人達は、偉いと思った。
ですが・・・、
あまりにも多い懲戒請求に、弁護士508人が賛同して、「いたずらに懲戒請求を行い、これを煽る行為は違法であり、直ちに中止することを求める。」という、アピール文を発表。
そんな面倒な事を、多くの人達が、いたずらでするかしら?
それくらい、国民の多くが、この事件と弁護団に疑問を感じているという事を、全く、認識していないんだな~と、思った。
いつだって、政治家、弁護士、医者、大学教授・・・。
「先生」と呼ばれる者と、そうでない者の間には、壁があるよね。
(もちろん、例外もいらっしゃいます。)
確かに、被告を守るのが弁護士の仕事かもしれない。
死刑回避が、仕事上、成功なのかもしれない。
死刑廃止という考え方も、あるのかもしれない。
それでも、弁護士として以前に、
人として、やっていい事と悪い事の、常識のラインがあるんじゃないかな?
どんな手をつかってでも・・・とうのは、どうかと思う。
人を殺めたり、レイプしたら、どんな理由があろうと死刑。
そうすれば、犯罪も減るんじゃないの?
冤罪があるから難しいのかもしれないけれど、
案外、裁判の論点もまともになって、冤罪も減るかも?
人を殺して、無期懲役になっても、情状酌量で実際には、早く出られる・・・。
そうした甘えがあって、犯罪を犯す人も少なくは無いでしょ。
人の命を奪った人に、酌量なんて、無くていい。
自分の税金の一部で、こうゆう人の生活が、賄われるのも嫌。
わたし、心が狭いのかな?
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例えどんなに、悪い人でも…。やはり、そこに、命の重みがあるんだろうね。
ナナエちゃんは、きっと、そうゆう、意見をくれる様な気がしてたょ。
考え方が違っても、こうして、話し合える事って、わたしは大切。